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神戸地方裁判所 昭和62年(ワ)1531号 判決 1990年10月26日

原告

野口雪子

野口修

野口正隆

野口明信

右原告ら訴訟代理人弁護士

井関和彦

被告

吉田雅樹

明花電業社こと吉田信義

右被告ら訴訟代理人弁護士

今口裕行

主文

一  被告らは各自、原告野口雪子に対し、金三二一万一三五〇円及びこれに対する昭和六〇年一二月三日から完済まで年五分の割合による金員を、原告野口修、原告野口正隆並びに原告野口明信に対し、各金九五万三七八三円及びこれに対する右同日から各完済まで右同率の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担とし、その余は原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告野口雪子に対し、金六四六万五八五〇円及びこれに対する昭和六〇年一二月三日から完済まで年五分の割合による金員を、原告野口修、原告野口正隆並びに原告野口明信に対し、各金二一七万一九五〇円及びこれに対する右同日から完済まで右同率の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一)日時 昭和六〇年一二月三日

(二)場所 神戸市兵庫区羽坂通二丁目一番一三号先路上

(三)態様 被告吉田信義が保有し、同被告が経営する電気器具販売業の業務用に使用していた普通貨物自動車(以下「加害車」という。)を被用者である被告吉田雅樹が業務のため運転中、亡野口二郎(以下「亡二郎」という。)が運転し、加害車と並進していた自動二輪車に加害車を衝突させ、亡二郎を路上に転倒させた。

(以下「本件事故」という。)

2  被告らの責任原因

被告吉田雅樹は、本件事故の発生につき過失があるから、民法七〇九条により、被告吉田信義は、本件事故当時加害車を保有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。

3  亡二郎の受傷、治療経過及び死亡

(一)亡二郎は、本件事故により頸部捻挫、両肩両上肢強打の傷害を受け、昭和六〇年一二月三日から同月一一日まで九日間、小原病院に入院した。

(二)亡二郎は、入院当初両手が動かず、知覚麻痺、両肩に強い痛みがあり、下肢運動障害があった。その後徐々に回復し、同月一〇日からリハビリテーションの予定であったところ、同月一〇日の午後五時ころから息苦しさを訴えて当直医師の診断を受け、鎮静剤の注射、酸素吸入、点滴の治療を受けたが軽快せず、点滴を中止した。そして、翌一一日午前零時ころ、一時的に睡眠を取ったが再び苦しみ始め、同日午前四時ころ、入院先の小原病院において死亡した。

4  亡二郎の死亡原因及び本件事故との因果関係

(一)亡二郎の直接の死亡原因は、急性心不全であるが、これは、本件事故によって受傷した胸骨骨折による心膜腔内の血液貯溜のために生じたものである。

すなわち、亡二郎が本件事故によって受傷した後、治療を受けている間に胸骨骨折を生じる機会はなかったし、本件事故の態様は、亡二郎が運転していた自動二輪車の走行中に、これを舗装路面上に転倒させるというものであったから、右機会に人間の身体の各部位に急激な圧迫を加え、外傷として観察されなくても臓器、血管を損傷することは十分あり得ることである。また、亡二郎は、本件事故後入院するまでの間に記憶を喪失したことがあり、昭和六〇年一二月三日の入院時から死亡に至るまでの間、両肩の疼痛、手の痺れが持続していたものであって、かかる現象は、本件事故の際の転倒の激しさを示している。

以上のとおり、亡二郎の急性心不全の原因である胸骨骨折による心膜腔内の血液貯溜は、本件事故によって生じたものと考えざるを得ないから、本件事故と亡二郎の死亡との間には相当因果関係が認められる。

(二)仮に、右(一)の主張が認められないとしても、亡二郎の心不全は、本件事故による傷害が心臓関係部分に急激な病変をもたらしたことが契機となって発生し、同人を死亡させたものであることは否定できないから、本件事故と亡二郎の死亡との間に因果関係が存在する。

5  損害

(一)亡二郎の損害

(1) 慰謝料 金七〇〇万円

亡二郎は、本件事故当時、腎臓癌に罹患していたが、本件死亡時からなお二年八か月は命を長らえることができたものであり、何ら苦痛や体調の不調はなく、ごく正常な生活を送っていた。腎臓癌の罹患者としては、その同病者の平均余命が二年八か月と考えられるとしても、余命の長短によって慰謝料額を増減すべきではないし、生命を奪われる苦痛に大小はないから、亡二郎自身の慰謝料は、金七〇〇万円が相当である。

(2) 治療費(未払い分のみ) 金八万六七〇〇円

亡二郎は、前述のとおり、受傷日の昭和六〇年一二月三日から同月一一日までの九日間、小原病院に入院のうえ治療を受けたところ、右治療費のうち一部は被告らが支払ったが、未だ支払いを受けていない分が金八万六七〇〇円残存している。

(3) 入院付添費 金三万六〇〇〇円

亡二郎の入院期間中、原告野口雪子(以下「原告雪子」という。)は、連日付添い、その余の原告らもたびたび勤務を休み、亡二郎の病床に付添い看護した。これらの入院付添費は一日、金四〇〇〇円を下らず、九日間分合計金三万六〇〇〇円を請求する。

(4) 葬儀費用 金八〇万円

(二)相続

原告雪子は亡二郎の妻であり、その余の原告らは同人の子であって、亡二郎の死亡により、前記(一)、(1)ないし(4)の損害賠償請求権合計金七九三万一七〇〇円を法定相続分に従い、原告雪子二分の一(すなわち金三九六万五八五〇円)、その余の原告ら各六分の一(すなわち各金一三二万一九五〇円)の割合でそれぞれ相続取得した。

(三)原告らの固有の慰謝料

原告雪子は夫を失い、その余の原告らは父をうしなったのであるが、亡二郎は、本件事故直前までごく通常の健常者と何ら変わらない元気な生活を送っていたにもかかわらず、受傷後僅か九日にして突然失い、原告らの被った精神的苦痛は甚大である。

これを慰謝するには、原告雪子について金二五〇万円、その余の原告らについては各金八五万円が相当である。

6  よって、被告ら各自に対し、原告雪子は、前記損害額の合計金六四六万五八五〇円及びこれに対する本件事故発生日の昭和六〇年一二月三日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを、その余の原告らは、前記損害額の合計各金二一七万一九五〇円及びこれに対する右同日から各完済まで右同率の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  請求原因1の事実は、態様についての記載中、「衝突させて」とあるのを除き、すべて認める。「衝突」ではなく、「接触」である。

2  同2の事実は認める。

3  (一)同3(一)事実は認める。

(二)同3(二)の事実のうち、亡二郎が、本件事故により頸部捻挫、両肩両上肢強打の傷害を受け、昭和六〇年一二月三日から同月一一日まで九日間小原病院に入院したこと、亡二郎が同月一一日未明同病院において死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。

4  同4の事実は否認する。

亡二郎の死亡原因は、以下に述べるとおり、末期腎臓癌による急性腎不全か、あるいは、腎臓癌を原因とする心臓肥大による急性心不全のいずれかであって、本件事故による受傷とは全く無関係である。すなわち、

(一)本件事故によって、亡二郎が胸骨骨折を受傷することはなかったし、仮に、死体検案時に胸骨骨折が認められていたとしても、当該外傷は本件事故による受傷ではない。本件事故における亡二郎の傷病名は、頸部捻挫、両上肢打撲にすぎず、頭部CT、頸部X―Pに異常所見も認められず、受傷直後には既に理学療法も開始されていたものであり、その受傷程度は極めて軽微な部類に入るものであった。

(二)一方、亡二郎は、本件事故当時、腎臓癌に罹患しており、その程度はいわゆる第四期の末期的状況にあり、右腎上部に八×六×五センチメートルの腫瘤が、膵頭部にも三×三×三センチメートルの腫瘤が発症していたため、自覚症状がほとんどなくとも心臓等に負担がかかり、亡二郎の心臓は五〇〇グラムと肥大し、慢性心臓障害があった。現に、亡二郎は、高血圧症のため、昭和五八年八月一三日から昭和六〇年一二月までの間、国保診療所で定期的に診察を受け、降圧剤、強心剤、利尿剤等の連続投与を受けていたが、突然かかる常用薬の補給が中止されたため、胸内苦悶を引起し、急性心不全を招来して死亡したものと考えるのが自然である。

(三)以上のとおり、亡二郎は、自身の既往障害が進行して死亡するに至ったことが明らかであり、亡二郎の死亡と本件事故との間に相当因果関係はない。

5  同5の各事実は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(交通事故の発生)の事実は、「態様」についての記載中「衝突させて」とある部分を除いて、当事者間に争いがなく、<証拠>によると、本件事故の態様は、被告吉田雅樹が加害車を運転中、左側を並進していた亡二郎運転の自動二輪車に加害車を接触させたものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

二次に、請求原因2(被告らの責任原因)の事実は、当事者間に争いがない。

したがって、被告吉田雅樹は民法七〇九条により、被告吉田信義は自賠法三条により、本件事故によって原告らが被った損害を賠償すべき責任がある。

三次に、亡二郎が、本件事故により頸部捻挫、両肩両上肢強打の傷害を受け、昭和六〇年一二月三日から同月一一日まで九日間小原病院に入院したこと、亡二郎が同月一一日未明同病院において死亡したことは、当事者間に争いがなく、かかる事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

1  亡二郎は、昭和六〇年一二月三日、本件事故により受傷し、救急車で小原病院に搬入され、そのまま同病院に入院した。

2  亡二郎の入院時の症状は、頸痛、両上肢痺れ感、知覚障害、両上肢運動障害の所見により、頸部神経根症状と認められ、頸部捻挫、両上肢打撲と診断されたが、頭部CT、X―P上は異常は認められず、また、亡二郎自身、初診時には胸痛をまったく訴えていなかった。

3  入院後の亡二郎に対する治療はもっぱら保存的治療が行われ、同月五日には両肩の痛みが認められたが、同月六日には両手の握力が改善しつつあり、同月九日は両上肢の痛み、痺れに変化はなかった。

4  ところが、同月一〇日午後五時ころ、亡二郎は、突然、動悸、胸苦、胸痛を訴えて、呼吸困難に陥り、血圧の低下、心電図上の心房細動・低血圧・不整脈等の臨床所見が認められ、鎮静剤の注射、酸素吸入、点滴等の治療を受けたが、軽快せず、翌同月一一日未明には心停止の状態に陥り、同日午前四時ころから五時四〇分ころまで心臓マッサージ(正式名称は胸骨圧迫マッサージ)を施されたが、蘇生せず、昭和六〇年一二月一一日午前五時四〇分ころ、入院先の小原病院において死亡した。

四そこで、亡二郎の死亡原因及び本件事故との因果関係について判断する。

1 前記三で認定の事実に、<証拠>を総合すると(但し、甲第二号証及び乙第二号証の二の各記載中、後記採用しない部分をいずれも除く。)、次の事実を認めることができる。

(一)亡二郎の死体は、昭和六〇年一二月一一日、死体検案のため、監察医である菱田繁医師の執刀により病理解剖に付されたが、右解剖所見によって確認されたところによると、(1)亡二郎の心臓の重量は五〇〇グラムで極めて肥大し、(2)心膜腔内には多量の赤色液が貯溜し、(3)胸骨骨折が認められ、(4)胸部皮下に一〇センチメートル×一〇センチメートルの凝血が認められたほか、(5)亡二郎の右腎臓には八センチメートル×六センチメートル×五センチメートルの癌が、また膵頭部にも三センチメートル×三センチメートル×三センチメートルの腎臓癌から転移したと思われる腫瘍が認められた。

(二)そもそも、腎機能は、左右二つの腎臓によって維持されており、仮にどちらか一方の腎臓が何らかの病変によってその機能を喪失しても、他方の腎臓一つによって尿分泌は十分行われ、生命への影響はないのが普通であるところ、どちらか一方の腎臓が癌に罹患している場合においても、当該腎臓のうち癌に侵されていない部分は健常な腎臓組織であって、なお尿分泌の機能を有しているから、腎臓癌に罹患している腎臓についてもなかなか腎不全を起こしにくい。

したがって、腎臓癌によって腎不全が引き起こされるのは極めて例外的で、両側の腎臓癌がそれぞれの腎静脈に侵入して閉塞した場合に起こり得るが、かかる場合においても、腎静脈の血流が徐々に細くなっていく間に、生体は、腎臓から血液の出ていく通路を別途形成するので、急性腎不全を引き起こすのは極めて稀とされている。

そして、亡二郎の解剖所見によると、腎臓癌は右側の腎臓の上部のみに限局され、腎静脈への侵入を認める所見はなく、他方、左側の腎臓は二九〇グラムで萎縮は認められず、腎機能の低下をきたすような疾患の存在を窺わせる所見もないし、亡二郎のカルテには、無尿ないし乏尿状態、急速な血中残チッソ、クレアチン、カリウムの上昇といった急性腎不全の症状を示す臨床所見の記載もない。

(三)通常の健康な人の心臓の重量は約三〇〇グラムといわれているが、亡二郎のそれは、前述のとおり五〇〇グラムときわめて肥大しているところ、亡二郎の心肥大は、以下の理由によって前記腎臓癌に起因するものとは考えられない。

すなわち、腎臓癌が心臓に病的な状態をもたらすというのは、癌が腎静脈の中に発育し、その発育したものが下大静脈を閉塞して、心臓に戻る血液が極端に少なくなる結果、全身の循環状態に悪影響を及ぼすという場合のみあり得るが、解剖所見によると、腎臓癌は血管中へ波及していないことが認められるから、亡二郎の腎臓癌は、同人の心臓に影響を及ぼすことはなかったものと判断できる。

(四)ところで、亡二郎は、昭和五〇年八月一三日から、高血圧症のため港診療所を受診しており、最近においては、昭和五八年一二月から昭和六〇年一二月までの二年間にわたり、二週間に一回の割合で同診療所を受診して、その都度血圧の測定と、二週間分の投薬を受け、常用薬として内服していた。血圧は、高い時で一八〇から一〇〇、低い時でも一八〇から九〇が記録されており、長期間投与されていたのは、降圧剤であるアプレゾリン・セルパシルが中心で、そのほかに精神安定剤であるセルシン、高血圧治療剤であるベータ受容体遮断剤のセケロン、強心剤であるジゴキシン、利尿剤であるフロセミドなどが適時投与されていた。

高血圧の場合には、末梢の動脈に抵抗が強く、心臓が力を込めて収縮しないと血液を全身に送れないために、心臓の肥大化を招き、したがって、亡二郎の心臓が五〇〇グラムまでに肥大化していた原因は、前述のように、かなり長期間にわたって高い血圧が持続していたことによるものであって、亡二郎は、これがために、本件事故当時慢性心不全の状態にあった。

(五)心不全の場合には、体の組織に水が溜まる浮腫を生じ、とりわけ、心膜腔内にもっとも水が溜まりやすく、したがって、慢性心不全の状態にあると心膜腔内に貯溜液が溜っている可能性が強い。そして、心膜腔内に多量の貯溜液が溜まると、それが心臓を外から締めつけて急性心不全を惹起し、血圧が低下するが、亡二郎の前記三、4で認定の症状と臨床所見は、心膜腔内の液貯溜が急速に増量していったことを物語っており、典型的な急性心不全の症状と一致し、他方、解剖所見によると、亡二郎の冠状動脈は正常で、心筋の色調も正常であったことが認められるから、同人の死亡直前の胸内苦悶が心筋梗塞によって生じたものとは考えにくい。

(六)亡二郎は、前述のとおり、高血圧症の治療のため、本件事故に遭う直前まで、降圧剤、強心剤、利尿剤等の投薬を受けていたところ、このような心臓及び循環器官に対する投薬、内服を急に止めると、心臓が薬のない新たな環境に対応しきれなくなり、非常に危険であることが指摘されており、とくに、心膜腔内その他の体腔内の貯溜液を腎臓から排泄除去して心臓の負担を軽減する利尿剤、強心剤の投薬を急に止めると、心膜腔内等に貯溜液が溜まり、心臓の負担が増加して、心臓が負担に耐えきれなくなるという事態に陥ることがある。

小原病院では、入院時、亡二郎が二年前から高血圧のため一月に二回診療を受けていた旨を聞いていたが、入院期間中、同人に対して前記降圧剤、利尿剤等を投与していたこと、あるいは同人自らこれを服用していたことを窺わせる記録はなく、むしろ、亡二郎に対する治療は、本件事故による外傷中心に行われ、これによって前記高血圧症治療剤の投薬・服用が中断されていた可能性が強い。

(七)なお、亡二郎は、前記三、4で認定のとおり、昭和六〇年一二月一一日午前四時ころ、心停止の状態に陥り、約一時間四〇分という長時間心臓マッサージを施されたが、心臓マッサージは、強力な力で胸骨を圧迫するため胸骨骨折を生じやすく、その場合には、骨折端が胸骨のすぐ裏にある心膜とそのすぐ側を走っている内胸動静脈とを同時に損傷しやすい。したがって、本件の場合においても、亡二郎に対して、長時間にわたり、しかも前記皮下凝血が生じる程の力による心臓マッサージが施された結果、胸骨骨折が併発し、その際に骨折端によって心膜と血管が同時に損傷され、右損傷された血管から逸脱した血液が心膜腔内に注入したため、亡二郎の心膜腔内の多量の貯溜液に混入して、右貯溜液が赤色を呈したものと考えられる。そして、胸骨骨折があれば、非常に強い前胸部痛を訴えるものであるが、前記三で認定のとおり、亡二郎は、入院時まったく胸部痛を訴えていなかったことが認められるから、解剖所見で認められる前記胸骨骨折は、本件事故による外傷によって生じたものとは認められない。

2 以上の認定事実を総合勘案すると、亡二郎は、長期間にわたる高血圧症のため心臓が肥大して慢性心不全の状態にあり、その治療のため降圧剤、強心剤、利尿剤等の投与を受けていたところ、本件事故によって頸部捻挫、両上肢打撲の傷害を受け、その入院治療に専念するようになって、前記薬剤の服用を急に中断したため、心膜腔内の貯溜液が急激に増量した結果、急性心不全を起こして死亡したものと推認するのが相当である。

なお、亡二郎の病理解剖を担当した菱田医師が死体検案の結果及び解剖所見を記載した<証拠>、並びに、弁護士法二三条の二第二項に基づく照会に対する同医師の回答書である<証拠>には、右菱田医師が、亡二郎の直接死因を右腎臓癌による急性腎不全と判断している旨の各記載があるが、右各記載部分は、いずれも右腎臓癌から急性腎不全に至る発生機序につき何ら説明するところがなく、単に結論を示すのみにとどまっており、前記1、(二)で認定の事実を踏まえつつ、亡二郎の死亡原因を右腎臓癌による急性腎不全と推定することは臨床医学的にみて可能性に乏しいと結論づける鑑定人友吉唯夫の鑑定の結果と対比して、たやすく採用することができず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。

また、原告らは、亡二郎の胸骨骨折が本件事故による外傷によるものである旨を、被告らは、亡二郎の心臓肥大が腎臓癌に起因する旨をそれぞれ主張するが、かかる主張が採用できないことは、前記1に認定したところから明らかである。

右のとおり、亡二郎は、本件事故により高血圧症の治療薬(降圧剤、強心剤、利尿剤等)の服用の中断を余儀無くされたため、亡二郎が既に罹患していた慢性心不全とあいまって心膜腔内の貯溜液が急激に増量し、これにより直接の死因となった急性心不全を惹起したものと認められるから、亡二郎の死亡と本件事故による受傷との間には、相当因果関係があるものというべきである。

五進んで、損害について判断する。

1  亡二郎の慰謝料 金六〇〇万円

前記四、1で認定のとおり、亡二郎は、本件事故当時腎臓癌に罹患し、<証拠>によると、その病期は最も進行した第四期に相当しており、同人が昭和六〇年一二月一一日から生存し得る推定年数は二年八か月であったこと、原告野口雪子本人尋問の結果、弁論の全趣旨によると、亡二郎は、本件事故当時六一歳で、未だ癌症状も出現しておらず、通常の健康人と変わらぬ生活を送っていたこと、その他本件において認められる諸般の事情を考慮すると、亡二郎の本件事故による死亡慰謝料としては、金六〇〇万円をもって相当と認める。

2  治療費(未払い分のみ) 金八万六七〇〇円

<証拠>によると、小原病院にたいする亡二郎の治療費として金八万六七〇〇円が残存していることが認められる。

3  入院付添費 金三万六〇〇〇円

亡二郎が小原病院に九日間入院したことは前記認定のとおりであるところ、<証拠>によると、亡二郎は、右入院期間中、食事も用便も自らできず、原告雪子他の家族の付添看護を要したことが認められ、その付添費用は一日当たり金四〇〇〇円が相当である。

4  原告らの固有の慰謝料

亡二郎の死亡による原告らの固有の慰謝料は、前記1で認定の事実、その他諸般の事情を考慮し、妻の原告雪子については金二〇〇万円、子であるその余の原告らについては各金七〇万円が相当である。

5  葬儀費用 金八〇万円

<証拠>によると、原告雪子は、亡二郎の葬儀を行い、その費用として金八〇万円を支出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

6 ところで、亡二郎の右急性心不全は、本件事故当時亡二郎が既に罹患していた心臓肥大による慢性心不全によって心膜腔内に貯溜液が溜まりやすい状態であったことも一因をなしていることは前述のとおりであるから、亡二郎の死亡は、本件事故による受傷及び同人が既に罹患していた慢性心不全が競合して生じたものと認めるのが相当である。したがって、右死亡による損害のすべてを被告らに負担させることは損害を公平に分担させるという損害賠償法の根本理念からみて適当でないというべく、公平の観念に基づき民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用して、被告らの負担すべき損害賠償額を減額するのが相当であると解されるところ、前記認定の諸般の事情を総合勘案すれば、亡二郎の死亡による損害については、その五割を減額するのが相当である。

7  相続

弁論の全趣旨によると、原告雪子は亡二郎の妻であり、その余の原告らは同人の子であって、原告らは、前記2、3の損害全部及び1の損害から五割を減額した残額(合計金三六二万二七〇〇円)を亡二郎の死亡により法定相続分に従い、原告雪子二分の一、その余の原告ら各六分の一の割合でそれぞれ相続取得したことが認められ(したがって、原告雪子につき金一八一万一三五〇円、その余の原告らにつき各金六〇万三七八三円、円未満切捨て)、右認定に反する証拠はない。

8  以上のとおり、原告雪子の損害額は合計金三二一万一三五〇円(一八一万一三五〇円+一〇〇万円+四〇万円)、その余の原告らの損害額は各合計金九五万三七八三円(六〇万三七八三円+三五万円)となる。

六結論

よって、原告らの請求は、被告ら各自に対し、原告雪子につき金三二一万一三五〇円及びこれに対する本件事故発生日である昭和六〇年一二月三日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから右の限度で請求を認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、その余の原告らにつき各金九五万三七八三円及びこれに対する右同日から各完済まで右同率の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから右の限度で請求をいずれも認容し、その余の請求は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官三浦潤)

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